6年間総決算 そのに

考えるのだるいな、と思った。

どうせ何も出てこねーだろ、と。

 

大事なのはこれからどうするかだし、

これからがこれまでの私の価値を決めていくから、

確かに振り返りは必要ない気もするけど。

 

でもこれやらなかったらガチで

私6年間ごみくずでした、としかならないから

 

―――――

 

そもそもどうしてこんなことをやろうと思ったのかというと。

そこから始めよう。

 

職場にいる人たちが本当に優秀な人たちばかりで、

自分はこのままだと見棄てられる、と焦ったからというのと、

高校の同級生に会って、話して、

その子が色んな考えや答えを持っていて、

それを語っていて、

私にそれだけ語れる何かはあるか?と思ったのと。

 

「このまま」て何だろう。

・仕事へたくそ

・話つまんない

・気が利かない

・周囲が見えてない

・強みがない

・頑張ってない

・人付き合いへたくそ

一つ一つ変えていくしかない。

 

ここでいつも私の思考を邪魔するのが、

駄目な奴は何しても駄目

て価値観。

 

確かにそう。駄目な奴は何しても駄目。本当に駄目。

実際そういう人たちを何人も見てきた。

そういう人たちは何も考えてなくてそうなったわけじゃない。

その人たちもたくさん考えていた。

なのに駄目だった。怖くない?

 

私がそうだとして、「じゃあやめるの」?

やめないのなら、やるしかない。

この自問自答あと何回繰り返すんだろう。

 

そして、いつになったら「やめなきゃ」て思わなきゃいけないんだろう。

 

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たぶん一番考えたいのは上記のうち

「強みがない」

だと思うので、これについて考えようと思う。

 

強み、と聞いた時に、まず浮かんだのは、

昔から自分の心にあった

「譲れないことは、さっさと他人に譲ること」ってやつ。

譲れないほどの強い自分なんてないから、

我を張る相手の好きにさせておけば良い、という。

 

でも言うてそこまで譲ってこなかったのではないかとも思う。

実はやりたがりなんだよね。

悉く失敗ばかりしてきたけど。

 

強く出る他人にはさっさと譲ってきたけど、

自分より主張の弱い人たち相手には、

我をめっちゃ張っていた気がする

 

ん。どうなんだろう。

我を張るというか、自分が受け持つというか。

自分の意見を曲げないことはそんなになかった?

 

いや、あった。

サークルの代表だったときに、

皆で支え合おう、と提言してくれた同期に向かって、

本人に責任持たせろ、と譲らなかったことがあった。

ハナから皆で手伝い合うという風潮を作るな、と。

それから、来づらい人への配慮を、との提案にも、

そんなのを団体全体の方針にはできない、

今いる人たちが居やすい環境を第一に目指すべきだ、と言った。

 

その年は問題がクソほど起こった。

それの原因は私にあったんだろうか?

 

私の当時の価値観が悪かったとは思わないけれど、

現状を把握することは怠けた。これは反省しなければならない。

報告を求める以前に自分が知っておかなきゃいけないことがあった。

 

ん。それも役職者各人の責任?

 

B1の時の自分すげーなって思ったのは、

周囲を見て具に記録を取っていたこと。

B1の時にそんなことしてたから、

後輩たちにもそういう眼差しを期待していたのかもしれない。

 

B1が周囲を良く見ていたとしても、

運営代になるまでその眼差しを持ち続けなきゃ意味がないのに。

私はどこかでその眼差しを捨てていた。

団体よりも甘くて幸せな場所を見つけてしまったからかな。

 

そんなクソみたいな運営代時代だったけれど、

周囲の人たちが良い人たち過ぎて、

自分が疎まれ者とか無能とか思われているという感触はなかった。

きっと先輩や後輩たちから少なからず信頼を寄せてもらえていた

というのもあるのだろうけれど、

それは私にそういうしっかり者のスキルがあったから、ではなくて、

ノリの良さとかそういうもののおかげだったのかもしれない。

 

そういう6年間だったのかもしれない。

 

自分の実力ではなく媚態で味方を作り

居心地のよい空間に浸っていた

そういう6年間だったのかもしれない。

 

いや。

媚態ですらない。

自分の不幸話で相手を喜ばせていただけだ。

 

この生き方に必要なものは一つだけ。

人付き合いのスキルは不要。

頭の良さも不要。

実力も不要。

 

ただ、他人を喜ばせる、蜜の味のする不幸話さえあれば良い。

 

不幸話は幸せ自慢ではないから聞いている側が羨ましく思うこともない。

寧ろ予測不可能・非常識の出来事の連続で面白いとすら感じたかもしれない。

私の方も笑い飛ばしてくれと言わんばかりの態度で話すからシリアスにもならない。

 

そうやって得てきた人間関係に、

自分は優れているだとか、

自分は可愛がられ上手だとか、

勝手な理由づけをして満足していただけ。

 

少し納得してきた。

 

―――――

 

ん。冷静じゃないよって?

 

そうかな。

もしかしたら、私には本当に実力があるかもしれない?

それを買ってくれていた人がいたかもしれない?

 

サークルに関していえば出席率だけの問題だし、

ゼミに関しても実力を認められたことなどない。

 

あったとしてもB1で全部なくしたっぽい。

B1の時から、考えることを放棄していたんだと思う。

 

どうして発表がうまくいかなかったのか、

どうしてうまく考察ができなかったのか、

 

どうして練習がうまくできなかったのか、

どうして団体がうまく回らないのか。

 

そんなことより甘くて暖かいものに浸っていたかったんだ。

それに浸っていることが絆の補強になると信じていた。

 

まあ具体的にいえば、恋人の存在だ。

 

それか。結局。

 

他人のせいじゃない。

自分の弱さのせいだ。

 

甘え合うためにいるわけじゃない、

尊敬できる相手と付き合いたい、

素敵になっていこうね、

 

それらの言葉はいったい何だったのか。

 

たぶんそれらの言葉を遂行する具体的な手段を分かっていなかった。

そのためにはある程度まとまった時間が必要だったんだよ。

 

思考するための時間てなかったな。そういえば。

 

そりゃ、思考する元気がなかっただけのことかもしれないけど。

思い出してみると、思考することが有意義だと思わなくなった気がする。

 

それに、思考するための時間にするくらいなら、

他のことにその時間を使っていたんじゃないかな。

主に他人と過す時間に。

 

あと、自分の性格の問題として、

悩みが長持ちしなくなったというか。

練習上手くいかなくても帰り道で反省したことあまりないと思うし、

ゼミ発表上手くいかなくても同様。

振り返る頃には割と忘れてたりどうでもよくなったりしてる。

 

私にとってゼミやサークルはその程度の存在感だったということなのかな。

 

ゼミに関してもう一つ。

たぶん目的が「怒られない」「馬鹿にされない」になった。

だから「これさえやりゃいいんだろ」というスタンスになった。

 

眠いから続きはまた明日以降。